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 うーん、洞窟のなかに冒険者の宿をつなげるセンスがいい。簡素なフィールド・チップに実際的な宿をつなげる……なんかおもしろいRPGのひとまくについてきそうだが、このシナリオもおおきなCardWirthというRPGのひとまく。こういうかんがえかたが自分のなかでまったくなかったので、これだけで自分の泉のシナがやぶられた気分。あれもラットキングがわるさする物語だが、これも背後に枢機卿がいる。それは誰か。やってください。べつに色のかわったゴブリンじゃありませんよ。それはいいんですが、自分のなかで、とりあえず自分のシナは基本一時間プレイしないとだめって思ってたんですが、これを見て、センスでコンパクトにまとめるっていうのも恰好いいなとおもいました。ちゃんとひとつひとつの事物がロールして意味を展開してるし。
 演出も、ひとつひとつ可も不可もなく、ちゃんと出したことにはかたちを成して、象形していくので、理屈はそのはりがねにとおすのだが、荒見をすれば最後のこじつけで全てが成立しているのだが、最後のこじつけが、こじつけでなく、丁寧かつ暇にならずちゃんと折りがはいっているので、理解的に刮目できる。しかしひとついえるとすれば、それはプレイヤーに、夢が内角的なこと 。
 じぶんの泉シナでいえば、ラットキングが夢溢れるキャラクターすぎる。シェケナ・ベイベでいえば、あのキャラクター達の存続するギャラクシーの企業体、クール・ザ・パトリオットでいえば、ワルという観念。そのゾーンまでテイクする原動力がこのシナでいえば、ネタバレだが、色の薄いゴブリン。彼に対して、どこまで夢持つかといえば、よほどのいじめられっこのナウな奴しか、たぶんもたないだろう。たぶん、理解はできるけど、ほかのひとはわからない。こういうところから、点数をいえば40点ぐらいかなあと思うのだが、人間喜劇はおもしろいし、冒険者の宿をワープさせる理論をかんがえたのは、評価高いのだが、コア、まじめなこと考えると、いまいちだねっていえてしまうのが残念。まあおふざけ的な発想にきりっとまじめをいれるから楽しいのだが、それなら、人間に侮蔑的態度をとる守護体を、それはいい、基本それにするのはいいのだが、表面のキャラデザインをもっとこってほしかった。まじめに人間に悲観しながら語調は「○〇~ゲス。〇〇~でゲス。」とか、妙になまりに愛嬌があるとか、ゴブリンの最終系が最終系すぎてターミネーターの中華系とか。もはや脳みそに鋼鉄の身体をつないで、「~へなゲスな。あたい、ワルでごめーんね、プルルでゲスっ」とか妙にひょうきん族が入ったり。実は親父と顔がうりふたつのマッド親父の仕業だったりとか、そういう表面を喜劇化すれば面白かったが、オモテがまじめ、ウラもまじめでは、なるほどとはおもうが、点数ははいらない。もっとネックのキャラデザをなぜそこだけ二重にまじめなのか、これはいただけませんね。
 でも、一次的にゴブリンの洞窟と冒険者の宿がくっついてるのは、発想にまけました。


 とても夜中のサイレントな瞬間にはじまる。そういう創作物はわりとおおいのではないか? とも思えるが、たとえば絵本でも、それでもそういう独特のくさみなくはじまるのはいいと思う。たぶんそれは、文章がちゃんとしているからだと思う。ふつうに文章はちゃんとかけ、あとはネタがなんなのかというレベルのひとにみえる。たぶん文章がちゃんとかけ、文章に癖がないから、小説家志望の人とかかなとかおもうが、カードワースでは問題ない部類だろう。自分は静かに物語のなかにはいれた。
 私の場合、カードワースは地の文より会話の方が多いが、会話の文体で表現していくのが得意だから、しかし、この「梟が二羽」では、ほとんどが地の文での表現なので、おおきくわたしとことなる。この地の文に、プレイヤーは、最終局につれてこられるのであるが、ひとついうと、書き手の嗜好がふつうをおいすぎて、ふつうにイイねが、狙いに見えてしまうが、どうせつくるなら、ふつうにイイねじゃなく、ここまで変質的にこだわると、金字塔すぎるよ、を狙って欲しいようなきがする。
 たとえば
「冒険者となれば
 これと似た夜空を見上げることも数多い。

 しかし今夜一段と輝きを増してるようで、
 冒険者は無意識に感嘆の声を零した。」

 であるが、これをわたし風に書き上げれば

「冒険者となればだが、
 似た夜空、たとえば孤独に見る冒険の一篇、
 そんな時を脳裏に馳せる星の馬のように、
 それでも今夜はなにかが違うようだ。
 理解とは石をつまらす歯車の為にある。」

 とか。ポイントはA→B→C→Dとたとえば分けて推移していくように思ってみる。そしてAからB、BからC、CからDであるが、この順番にプレイヤーの脳にイメージが浮かぶことを想像してかくことが大事なのである。この順番にめちゃくちゃに意図して書く技法もあるが、基本的に、悪例をやめて好例にうつるなら、イメージの順番に書くことは大事である。そしてそれがわかるなら、いかにボンビラスに破壊的な超技巧を、どの段階でまぜるかを、意識をおいて、ステッププレイするかである。この順番とイメージングさえわかれば、大きいことを言っても可能なのである。逆にこのリリックを無視して大きなことをいったら、アホみたい、とか、馬鹿みたい、とかいわれてしまう。だから重要な事なのだ。



 やってみて思ったことは、かのがじろー先生であるが、ツイッターにシナリオ制作をしていたので文章力に自信があると書いていたので、本当にどのくらいできるのか見るため、やってみたのが今回の次第だが、なるほど、小憎い地の文を書くわいと思ったが、このシナリオが対象レベル2~3で、文章内容も2~3のなかでは上だなと思った。
 しかし、魔神レベルと言う、古山シウや天地我人やじぶんでいうのもなんだが、大場康弘といった神々には、いまいち文章レベルが、ちょっと届かないかなと思った模様。かんたんにいうと、ウケが対文学者でもなければ、対文学マニアでもなければ、対小説マニア読者でもなければ、毛の生えたライトノベル愛好家が、ちょっとこういうものはないなと思うレベルごときである。やってみたければ、わたしに勝負を名指しで挑めばいい。わりと私は対向作品を持っている。即席でも書ける。
「冒険者稼業髄と呼ばれた過去を持つのも何時のことか。この宿もこの季節になると、新しい巡業に呼び込みをかけるが、それでも俺らがいるのにとは、言えない程、まだちっぽけな存在なのであるのは対象レベルが3であるとか、意外と5でも通れる場合があるなとか、そういうことはどうでもよく、仕事をしないでエール酒ばかり飲んだ舌は大層お馬鹿さんである」
 上記のようなことは、即刷で書ける。これが神のレベルである。ぶっちゃけ天地我人もなんだかんだいって、内部は青の、げふんげふんなのであるが、文章力をいまじすとすると、本気になるとかなりヤバイ奴がかけるが、ああいう生態のいいところは、狙ったところ以外でひけらかさないからお茶をまずいとも言える。
 で、がじろーだが、そういう意味で、文章力はまだまだだなと言えるが、それ以外のとこを見るといいところがいっぱいある。まず冒険者という観念をなんども考えてる人だなというのがわかる。またちゃんとストーリーがある。べつのところで何でも、そこまで文章力を自信つけている理由に、ラジオドラマの脚本をいくつも手掛けて、放送したという経歴がある。たぶん文章内容より構成がうまいんだろうなということはその後わかったが、たしかに構成はうまいと思う。なんでもちゃんとオチがついている。なんかやってみて、最近の物語志向(あきらかにシャッフル集団がCW界にまねいた)にない、古きCWの代物くさいものも、いいと思う。小粋だし。
 そういう意味で、戦闘にいろんなギミックがあったり、素材をおいて、風月する能力はたしかにあるといわねばなるまい。というかこっち方向の作者であるとおもえる。ネタをあげると、ちゃんと仕事をするのだ。
 わたしのほうなんて、無題からいきなり最強平原を自分からつくりこむタイプだが、なんか自分を過大視するのがこっぱずかしいが、それはそれで、単純に他人に斬られたいのである。作品で。でないと、新しいものを作る気がないのである。そうなのだが、がじろー氏は、与えられたネタをちゃんと狙った度数でつくりあげるトリマーなのだな、ということが分かったのである。


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